見失った“大事なもの”は何か
お昼のワイドショーを観ていました。
大竹まことさんの長女が大麻所持で逮捕されたことについて、という議題。
“逆質問”というのが注目されていますが、あれは記者の方たちに配慮が足りなかったのではないかなと私は思います。
仮に父親が著名人であったとしても、そのご家族は一般の方なのです。
そもそも、こんなに大々的に報道すること自体がおかしい気がします。
もちろん、大麻の所持は違法行為です。罪に問われて当然です。
しかし今回の件は、他の一般の方が同じ罪を犯した時とは明らかに報道の姿勢が違うように見えます。
独立して親元を離れた娘の違法行為について、親の監督不行き届きだと言われましても。
私が大竹さんの立場なら、そんな風に思ってしまいます。
これはあくまでも私の憶測に過ぎませんが、大竹さんが謝罪会見を開いたのはきっと娘さんを守りたいという親心だったのではないかなと思います。
もちろん薬物に手を出したことを咎めないという意味ではなく、娘さんが更生して社会復帰を果たした時のことを考えての行動だったのではないか、と。
そんな中、記者の方々は「娘さんは働かれてるんですか?」「ご結婚は?」などという質問を投げかけます。
これは如何なものかと私は思いました。大竹さんが逆質問をするのも頷けます。
ワイドショーには記者の方も出演しており、そのことについて言及されると「そういったことから大麻所持に繋がる何かがあるかもしれないじゃないですか」と答えていました。
それに対して「その何かがあるかどうかは分からない」と反論されると、「ある“かも”と言ったでしょ?」と返していました。
だから何?という感じです。
ここで言う“何か”の有無にかかわらず、それは記者ではなく警察の仕事ではないですか?と。
キャリアを積めば積むほど、その仕事に慣れてしまって感覚も麻痺してしまうのでしょうか。
“マスゴミ”という言葉が生まれている事を、もう少し真摯に受け止めてほしいところです。